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LEADERS BLOG

2021.11.5 / 清水吉樹

ういろう・きしめん・ひつまぶし・味噌煮込みうどん・手羽先・といえば、はい「愛知(というより名古屋かな?)」ですよね。僕はこれらが好物で愛知に行くと必ず何かを食べてます。さて、今回のブログ、タイトルが「愛知」となっていますが、地名の「愛知」ではありません。『知ることを愛する』というテーマでお話をさせていただきます。

『知ることを愛する』これは「哲学」の直訳です。そうなんです。「哲学」って知ることを愛しそして追及する姿勢のことを言うんです。
「この世は何でできているのか?」
「人間(自分)はどうあるべきか?」
「社会はどうあるべきか?」
といったなかなか「答え」を見つけにくいテーマを掘り下げて徹底して考える学問なんですね。「哲学」というと「俺には関係ない」「私は興味がない」という方もいらっしゃるかもしれません。
でも、日々生活していく中で
「今なんでこれをやっているんだろう?」
とか
「あの人はこうあるべきではないのだろうか?」
とか
「もっとこう伝えれば(言えば)よかった・・」
とか、思い悩むことありませんか?
僕はあります。
けっこうあります。
でもこれは「どうあるべきか?」を考えるプロセスで涌き出る「葛藤や苦悩」でここから成長や発見があるのではないかと僕は考えています。
「葛藤」や「苦悩(悩み)」がある、ということは必死に考え誠実に生きている証です。そこにしっかり向き合い続けたその先に「愛知」の奥深さ・面白さ・偉大さを知り、そして豊かな人生を歩むことができる!と信じて、今日も葛藤や苦悩を満喫しましょう!
ういろうでも食べながら。

2021.10.1 / 清水吉樹

突然ですが、僕たちの会社、三和物産は9月決算です。つまり、このブログを書いているタイミング(2021年9月26日)はちょうど期末の最終追い込みの真っただ中!ということで、少々私の精神状態が不安定な状況でこのブログを書いている、という前提でお付き合いください(笑)

さて、「多様性は大切にすべき概念だ」とお考えの方は少なくないと思います。大企業ではダイバーシティといった考え方で組織運営することが必須となっていますし、様々な意見や考えを尊重することは大切だよね、といった発言で炎上することは少ないと思います。でも「多様性」ってそうみんなが考えているほどシンプルではないようなんです。
なんと!人間はそもそも「自分と異なる考えを排除するよう設計(遺伝)されている」から。つまり僕たち人間はもともと「多様性」を尊重しない生物らしいんです。これは、僕の持論でも主観でもなく、社会心理学・心理学・生物学・歴史学などを紐解き分析し複数の人たちが検証して出た結論なので、信憑性は高いのではないでしょうか。
たしかに、
・国という概念
・有史以来の戦争や革命
・忖度(日本だけではなく古今東西ある処世術)
・権威に弱い(日本だけではなく古今東西ある傾向)
など、「多様性がないがしろにされている!」という状況は古今東西枚挙に暇がありません。

でも、僕は断言します!
それでも多様性は大切で組織で育み守り抜くべき概念である!と。
まあ、私が唾を飛ばして断言するまでもなく、多くの方々がおっしゃっていることですが・・・。ただ、私が多様性は必要だ、と感じている観点は「イノベーションの土壌である」という点よりも「間違えや失敗を減らす本質である」という点にあります。
「多様性」が間違いや失敗を減らすってどういう意味か?
例えるならば、スイスチーズ(ハイジに出てくる美味しそうな穴が開いたチーズ。でもハイジって若い人は知らないかも・・・)をスライスした穴だらけのスライスチーズをイメージしてみてください。これ1枚だけだと「穴」だらけですが、これを複数枚重ねると「穴」はなくなります。数が多ければ多いほどその「穴」がふさがる可能性が高まります。でも、もしすべてのスライスチーズが同じカタチだったとしたら「穴」はふさがりませんよね?何枚重ねても同じ場所に「穴」があるからです。そうなんです。同一性(多様性の逆)では「穴」を埋めることができないんです。違いがあるから「穴」を埋められる。つまり、違いがあるから「穴」つまり【課題】に気が付けるのです。
今までは特に気にもならなかった「ただの穴」が、環境の変化によって「致命的な大穴」になる日が近い将来くるかもしれません。その時になって「穴」の存在に気が付いても(つまり多様性を大切にしなかったツケ)もう手遅れなのではないか、と私は考えています。
基本的に「多様性の確保」は難しいんです。でもそれは僕たちが間抜けだからではなく、人間がそもそもそうなってるから!そう開き直って前を向き諦めることなく「そもそも多様性を育むことは難しい」という前提に立ち、社会やお客様に価値を提供し続ける「三和物産」を多様な僕たちで創っていきましょう!

さて、くどいようですが、僕は今、期末という状況下でとてもナーバスになっています。
いつも以上にポエムなブログになりましたこと、どうかご容赦を!

2021.8.20 / 清水吉樹

『人生を変える方法。
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。』

(ネットより)

誰が残した文章なのか諸説あるようですが、野村克也さん、松井秀喜さん、といったトップアスリートの方々、そして多くの経営者の方々が座右の銘として大切にされているコトバです。「うん、そうだよなー」と深く納得できるコトバではありますが、これ、僕たち凡人にはそう簡単にできることではないですよね・・・。まず「心を変える」とこから挫折しそうです・・・(笑)

さて、僕の個人的で勝手な「超解釈」になるのですが、これ、順番を変えた方がしっくりくるんですよね。どう変えるかというと、まずはじめに着手すべきは「行動」ではないかと。そう、とりあえず動いてみる、ということです。難しく考えずに、軽やかにいつもと違うことをする。例えば、ランチは意識して違う店にする、とか、普段読まないジャンルの本を読む、とか、通勤時にいつもと違う車両に乗ってみる、とか、自分から「おはよー」と元気に挨拶してみる、とか。
なんでもいいと思います。そんな気軽なことでも、きっと心に変化がでます(でるはずです!)そうしたら「態度」も変わる(はずです!)。
さあ、ここまではなんとなくできそうな気がしませんか?
でも、問題はここからです。
そう「習慣」です。「習慣」を変えるって、これはかなり難しいです。皆さんどうですか?生活習慣を改めましょう!とか食生活を見直しましょう!とか「今やっていることを変える(止める)」って忠告や提言を、目や耳にしたくない!という人、少なくないのではないでしょうか。でも安心してください!私の「超解釈」では、この問題も解決済です!
それは「変える」を「はじめる」に置き換えればいいのです。つまり「あたらしい習慣をはじめる」で良いんです。変えなくてもいい、加えればいいんです。加えながら結果的に変わっていく、というイメージでしょうか。
そんなことで「習慣」が変わるの~(ウタガワシイ・・)?と思ったそこのあなた!
まずは「行動」してみましょう!
きっと「人生」も変わるはずです!

最後に、この「超解釈」に大きな示唆・影響を与えてくれた福岡のT氏へ、こころからの感謝と敬意をこめて。ありがとうございました。

【参考資料:僕の「超解釈」による『人生を変える方法』】
行動が変われば、心が変わる。
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、変化を楽しめる。
変化を楽しめれば、新たな習慣を試したくなる。
新たな習慣を試せば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

2021.7.9 / 清水吉樹

あん‐ばい【塩梅・按配・案配】
① 塩と梅酢で調味すること。一般に、料理の味加減を調えること。また、その味加減。「―を見る」
② 物事のほどあい。かげん。特に、身体の具合。「いい―に会えた」「―が悪くて寝ている」
③ ほどよく並べたり、ほどよく処理したりすること。「材料をうまく―して話す」「仕事の―を考える」

(以上「広辞苑」抜粋)

いきなり「塩梅(あんばい)」の語彙説明をされても「え??」だと思いますが、今回は「塩梅」をテーマにした内容なので、その前提となる意味をご説明する必要があるなと思いご紹介しました。僕が今回お話をする「塩梅」は上記の「③ほどよくいい感じにする」というニュアンスになります。

さて、僕と仕事をしたり、遊んでくれたことがある人はおわかりかもしれませんが、僕はよく「こんな感じでうまくやっといてよ」とか「ちゃちゃっといい感じでやろう!」と丸投げすることがあります。これは、適当で良い、とか、どうでも良い、という真意ではなく「この人なら細かい指示を伝えるよりザックリ方向性を共有しさえすればよりよい結果になる」という僕なりの考えがあっての発言です。だからもちろん、相手や状況によって「塩梅」はかえます。
例えば、すごくちらかっている部屋があるとして、
❶ある人には『なんか散らかっているからいい感じにしといてよ』。
❷ある人には『なんか散らかっているから整理整頓しておいてよ』。
❸ある人には『これとこれはそこに置いて、床は掃除機をかけて、ついでに「整理整頓!」って張り紙はっておいてよ』。
という感じで。
もちろん❶~❸のどれが良くてどれが望ましい、と良し悪しを言っている訳ではなく、伝える相手との相互理解の度合いや、過去の経験などから「この人にこの案件はこの塩梅で伝えればいいな」と考え発言しています。

って、なんか上から目線で偉そうな感じ・・・。とお思いの貴方・貴女!
違うんです、そうじゃないんです!
僕がここでお伝えしたい趣旨は、
「その時の状況や環境」や「話し手と受け手の関係性」によってニュアンスがかなり違ってくる「塩梅されたコトバ」が、安易にコピーされ再生されることで、仕事の質や遊びの楽しさに悪影響を及ぼすことがあるから注意しないとね!!
ということです。そう注意喚起です。
先ほどの「整理整頓」の例え話でいうと、初対面の人に❶を言っても相手は混乱するし、付き合いが長い人に❸を言ったら「話がくどいな~・・・」となりますよね?
この点を踏まえずに、この「コトバ」だけを第三者や不特定多数の人に「そのまま」伝えるとどうなるか・・・。そう、お察しの通り様々な解釈が発生してかなり困ったことになります。でも、このような事例って、社会や会社や家庭でもけっこう転がってると思うんですよね。みなさんの周りを見回してみてどうですか?
<なんかあの人のハナシって抽象的すぎるんだよね。>
とか
<すげー細かくてめんどくさいんだけど。わかってるし!>
とか
<あれはこういう意味だろう(と思ってやったことが間違っている)。>
など、ありませんか?

コトバが簡単に切り取られ、そして拡散する世の中です。だから、発言する方も受け取る方も、そのコトバや情報は「塩梅」でかなり意味やニュアンスが変わる、ということを意識しつつ、いい感じで暮らしていきましょう。

以上、味音痴な上に話がくどい僕の雑感におつきあいいただき、ありがとうございました。

2021.5.28 / 清水吉樹

先日ある報道番組で「瀬戸内海がきれいになりすぎて漁業に深刻な悪影響を及ぼしている」という内容の特集を見ました。細かい部分は覚えていないのですが、窒素やリン酸といった海洋プランクトンや海藻が必要とする不純物(栄養素)まで除去する「ろ過システム」を導入したことが遠因だとか。つまり、不純物はなんでもかんでも除去して海きれいにする!というコンセプトでの取組の結果、生物の生存に不可欠な「不純物(栄養素)」も失われ、生物が住みにくい海となったという何とも皮肉な話です。
もちろん、漁業に関係のない人たちは「少しくらい魚が減ってもきれいな海になるのだったらいいじゃないか」「きれいな海の何が悪いんだ!」と考えるかもしれません。「魚が減る=悪いこと」と考えることがそもそも偏った意見である、と。でもいくら海がきれいになっても、魚や動物がいない海ってつまんないですよね~。釣りもできないし、ダイビンしても魅力的ではないし・・・。難しい問題ですね。

さて、ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが、日々の悩みに関してもなんか似たとこがあるなーと思いませんか?不安や不満や失望や憤り、そういった社会生活での人間関係に付随する様々な面倒な出来事。
「そんな悩みはすべてなくなれば良い!」
「悩みの無い世界にいきたい!」
とおっしゃる人がいますが、さてさて、はたしてそのような環境はどうなんでしょう。
海から不純物がなくなって何も住めない世界になるように、社会から「悩み」という不純物(?)が無くなった時、どんな世界になるのでしょうか。つまんなくて味気ない、もしかしたら人間が人間として生きることができない、そんな世界になるかもしれません。
僕は、日々あれこれ悩みながらなんとかしようとあがくこと、努力することが大好きです。前もお伝えした通りマゾなので(笑)
何の悩みもない(逆説的に何の喜びも無い)そんな理想郷ではなく、調和と矛盾と混沌に満ちた不完全だけど素晴らしきこの世界を、これからも楽しく前向きに生きていこう!
と改めて感じた瀬戸内海の出来事でした。

【PS】
最近「釣り」をはじめました。シーバスとアジ狙いです。下手は下手なりに「釣り」もなかなか面白い世界です。