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LEADERS BLOG

2022.6.17 / 浜永 良成

ある朝、会社の前を歩いていると正面から来る会社の営業車中の〇〇さんと目が合い、彼が笑顔で会釈してくれました。
その笑顔がとても気持ちが良く、さわやかな一日になるような気がしました。

と思っていたら〇〇さんが会社で話しかけてくれました。

取引業者の一社として客先懇親会での突然振られた業者挨拶の中で当社のミッションを交えた彼なりの言葉と仕事に対する意気込みを語ることができたことを話してくれました。

そのあと客先の代表の方からいい良いスピーチだったと褒められたとも。

〇〇さんの本来持っている明るさと最近の成長を活かし、会社が大事にしていることを自分の言葉で語ってくれたことをとても嬉しく思いました。

さらに関係者(〇〇さんの上司)とそのことを共有できたことでその日は本当に気持ちの良い一日でした。

いつも無理をしてつくり笑顔をする必要はないと思いますがまわりの人を肯定視しているからこそ内側から出てくる笑顔は〇〇さんの宝だと感じました。

2022.5.6 / 浜永 良成

朝日新聞の悩みのるつぼ
回答者の社会学者の上野千鶴子さんが
相談者に対する回答の中で

>ものごとにはそれを見た人だけの多様性がある。
(だけど多くの人はそれに気づいていない)

と語っていました。

同じ日の朝日新聞「人権コメント」の中でタレントのりゅうちぇるさんが

>人間ってわからないものに出会うと枠にはめたがります。

と話していました。

たまたまでしたが二人の考えには何か合い通じるものがあると感じました。

自分で考えずに周りにある常識にそして人が正しいと言うことに簡単に染まる、委ねる。

でもそうしないと受け入れらない時がある。

しかし自分の考えの及ばない人たちの意見に触れ、新しい発見を感じつつ、大切なことを教えてもらった気がしました。
これまでの定説や人が言っていることをそのまま自分の中に入れてしまうことは危険であると。

様々な考え方に触れつつ自分の感じ方を大切にすることを意識したい。

りゅうちぇるさんは自分の境遇の中でそれを感じて得たのだろう。

2022.3.25 / 浜永 良成

先日、知人の納骨式に参列しました。

故人の奥様に葬儀の時は話しかけることができませんでしたが今回は奥様より話しかけて頂けました。
亡くなったことのどうしようもない哀しみ、なぜいなくなったのか(不条理)いつまでも気持ちが整理できないけれど生きていかなくてならないことなど心の内を飾らない言葉で語って頂けました。

こんなに話されるとは思ってもおらず、私は言葉のいたわりでは軽く思えてあまり話すことができず、あいづちをうち、うなずくばかりでした。

しかしその時どう思っているかを聴くことで、うまく表現できませんが自分はここに来てほんとうに良かったと感じました。

何もできなくても人との別れに立ち会うようにその場に居ることの意味を感じることができました。

納骨の行き来の薄曇りの空や開花前の桜の木々、暖かくなってきた空気がこの日を記憶に残してくれる気がしました。

2022.2.18 / 浜永 良成

私たちは今期より商品開発に力を入れ、部署混合のプロジェクトチームを複数立ち上げて定期的にミーティングを開催しています。(オンラインが定着したメリットで容易に遠方の部署同士が集まり、議論できる!)

まだまだ手探りですが、だんだんアイデアが生まれて、それに対する意見も発信されるようにもなり、話し合うことの大切と楽しさをみんなが感じ始めています。

誰かのアイデアに対して良さそうかなと思い、飛びついても、じっくり考え、市場の声を冷静に捉えことができるようになるといろいろとまずい点が見えてきてそのアイデアがオクラ入りになることがあります。

2歩進んだと思ったら4歩後退りのようなことがたびたびです。
一人で進めていると後退りは心理的にきついですが、仲間と進めていると本質に近づける議論ができていると考えることができて、次のステップに登っている、と捉えることができます。(実は辛いことも多い、、、)

そしてリーダーは自分の仕事が忙しい中、みんながアイデア創出できるツールや仕組を日々考えています。

商品開発していく中でみんなで学び、悩み、楽しみ、ミッションを実現できる商品開発の階段を少しづつ登って行きます。

さらに明確なコンセプトを大事にしつつみんなで様々な議論を進める中で発見があり、進化していくようなもの創りに挑み、売上に寄与する商品と共に目先に捉われない革新的な商品開発の両方を追求します。

そして直接開発に関わらない人たちもなんらかの形でプロジェクトに関わり、全員でのもの創りが企業風土になっていくことを目指します。

2021.12.24 / 浜永 良成

先日遺影写真家のドキュメンタリーをテレビで見ました。

以前は広告の写真を専門にされていた方なのですが、販売商品が終わると共に消えていく写真よりずっと残り見続けてもらえる遺影専門となりました。

義理のお父さんが亡くなった時に、その方が撮影した写真がなく、旅行に行った時の誰が撮ったかわからない写真を使うことになり、自分はプロなのにと、、、とても後悔が残ったそうです。
そのあと直ぐにご両親の写真を撮り、話しかけてくれるような写真が仕上がったことがきっかけということです。

そして遺影に向かえば声が聞こえる、口角を上げただけではなく目が自然に笑っているそんな人の心に残る写真を撮りたいと強く思うようになったそうです。

写真家の名前は残らないが写真そのものは100年後にも残る。
故人が伝わる。
残されたひとを癒す。
写真を見る=亡き人に会うと感じられる。

そんな遺影写真。

遺影写真を撮られた方はこれまでのケジメになり、残された人生の再出発になったと話されていました。
遺影の中の明るい自然な自分の顔を見て元気でいようと思うそうです。

生きる力をくれる。
自分の笑顔は自分に元気をくれる。

私たちの仕事も直接ではありませんが故人や遺族に寄り添う仕事です。
余命わずかな人と接していく仕事って辛いという先入観を拭いさり、こんな「仕事」って本当につながりを大切にしているんだと感じました。

自分の大切にすることとつながっている仕事で生きていけることのありがたさに満ちた人でした。

自分たちの仕事がこんな姿に少しでも近づければいいなぁと思いました。