X note

LEADERS BLOG

2024.10.11 / 浜永 良成

何を考えてこのように表現しているのか全く分からない現代アートが多々あります。それらの入門書や簡易的な解説書などを少し読んで見ました、イラスト入りの読みやすいものです。

>美術や音楽は言葉では説明し尽くせない(=解説らしきものを読んでもさして意味はないはず?)

確かにそうだなーと考えていたので以前はそのような作品は見ただけで自分の理解範囲外のものと簡単に排除していました。

しかしその入門書を読んでみて、その表現に至る経緯、その人の人生、時代背景、社会の状況に触れることで理解範囲外のものの扉がちょっと開いて中が少しだけ見える気がしました。(そもそも入門書ってそういうもの?)

自分の中にそういうものに興味を持てることに気づくことも小さな驚きと喜びがありました。

少し飛躍かもしれませんが、それはもしかすると新しい独創的な商品も、開発経緯、想いが伝わる説明や使用シーンを思い描けるツールがあるとその商品の中身が垣間見えてきて関心を覚え、ややもすると購入意欲が湧いてくる。

さらに営業マンやお客様が自分なりの解釈も加えた語りも入口が増えて入りやすい商品になっていく一手なのだと思いました(いまさら、、、)

2024.8.30 / 浜永 良成

最近は理解が困難な現代アートが広まっていますが、福田平八郎(没後50年)という日本画家の絵は知識が浅い私でも色合がカラフルで構図がシンプルで、近づきやすい絵でした。

その中でも「竹」という絵は筍や竹が様々な色合で形態は大胆に表現されていて、ポップにも感じられ、とてもひかれました。
同じように見える竹でも色合が一本一本少しづつ違うことを観察して、一度自分の中に入れて自分の色や形にしてから表に出しているかのようです。

とてもシンプルな表現ですが、自然物へのやさしい眼差しも感じます。

初期は写実的表現で、中国画の影響も受けつつ、色に関心が向き、形態の単純化に至ったようです。

後半のこの「竹」が私は一番好きで、普通は花も滅多に咲かず、ほぼ緑以外の印象の無い竹というものを色彩の表現対象として捉えたことが不思議です。
これだけ豊富な色を竹から感じとることに驚きです。

こんなふうに対象を観ることができると生きていることはとても豊かになりますね。

2024.7.19 / 浜永 良成

部屋の整理をしていたら高校の頃観た映画の記録帳が出てきました。

日付、映画名、監督名、主演者、簡単な感想、自分なりの評価(A,B,C)、映画館名(テレビもあり)、誰と観たかを記録してありました。

高校の頃よく授業をサボって観にいき、授業後の部活動には戻ってくる、そんな生活を送っていた頃のものです。

多くは試写会なので無料、当時いろいろな雑誌に毎週50名ほどの枠があり、4誌ほどの雑誌に毎週5枚以上応募していました。
そのうち映画雑誌などは当たる確率が低く、あまり映画を観に行かない読者が主体の漫画雑誌は当たる確率が高かったように記憶しています。

週末にはオールナイトの3本立てなども観に行き、まわりは大学生以上の中でちょっと大人の仲間入りをした気持ちになったりしました。
そんな当時の記憶がよみがえることもあり、とても懐かしかったです。
それと自分の好き嫌いがあまり変わっていないことも感じました。

親に書きなさいと言われた日記はひどいものでしたが、自分が書きとめておきたいと思ったその記録帳は、誰にも読まれることはありありませんが自分には大切なものになりました。

みなさんも古い物の整理を兼ねて大切なものを探してみるのもいいものですよ。

2024.6.14 / 浜永 良成

アメリカの保護犬と受刑者を結びつける更生プロジェクト「ポゥジティブ チェンジ」
(Pawは動物の前脚)の記事を読みました。

さわりが読めます。
受刑者たちが「犬と二人三脚」で自信を取り戻す─刑務所内の“犬の訓練士養成プログラム”に潜入 | クーリエ・ジャポン

「自分」を受け入れてくれる「犬」。
「犬」を癒すことができる「自分」。
「犬(他者)」から必要とされることで自らの荒れた心を癒し、自己肯定感を育てる。
その自己肯定感は「犬」からさらに他者にも拡がり、社会復帰につながり再犯率減にも大きく寄与している。

実際は動物が苦手な人がいたり、きれいごとだけではすまないこともあるとは思います。
しかし誰もが誰かに対して何かができることがある。
そしてそのことは自分にも何らかのカタチでかえってくることを教えてもらった気がします。

2023.12.15 / 浜永 良成

ネット配信の〇〇ミュージックは好きな楽曲を選ぶと後は似た傾向の音楽が流れてくるので、手軽でよく聴いていました。
しかしジャズを選んだのに昭和の演歌アレンジしたような奇妙な楽曲が流れてくることもあり、その際は興醒めでした。(確かに類似性があると言えばあるのですが、人間では間違っても選ばない楽曲です)

CDが全盛の頃に休みの日に新宿のジャズ専門店に行って1、2時間試聴して気になったCDを1〜3枚毎週買っていました、レコードが全盛の頃のジャケ買いもありました。
※別にジャズに詳しいわけではなく、ただ気持ちに合う音楽を選んでいただけ。

その頃のCDを今になって棚の奥から引っ張り出して聴いてみるとこれがいい!
懐かしいではなく、今の気分にピタリとくることがたびたびあり、古さを感じない。
昔の自分の感じ方と今の感じ方が同じことに気づくこともなぜか心地よい。
休みの日には朝のぼんやりしている気持ちを目覚めさせる爽やかな楽曲、昼過ぎから少し気だるい楽曲ものんびりできて気持ちが落ち着く。

データ検索(?)がもっと進化してさっきのようなズレは無くなるのか、そうしたら自分はデータ検索が選んでくれるお任せ楽曲でいつまでも心地よくなってしまうのか?

ネットに自分を委ねたくないのは私だけ?
生成AIが造った音楽や絵画に人が創ったものと同じように心は動いてしまうのか、、、、

おじさんのつぶやきでした。