LEADERS BLOG
先日、あるお取引先様が主催する「勉強会&座談会」に参加できる機会をいただき、三和の仲間数名と共に訪問してきました。どのような勉強会かというと、主に納棺師の方々が最新の技術・機材・薬剤を学びつつ、お互いに情報交換をしながら自分の知見や技術を高めるための場です。数年前から年1回実施する、というスタイルで納棺師の方々には広く認知されている勉強会のようでした。
正直、かなり衝撃を受けました。参加している皆さんの「学びたい」「技術を習得したい」「より良い仕事がしたい」という真剣で真摯な姿勢と、「悲しみの最中にあるご遺族の方それぞれがかかえる【希望】をくみ取り、それをなんとかしてかなえてあげたい」という覚悟に。僕が駆使できる語彙ではうまく表現できないのですが、「お前にそれができるのか?」と自問自答をし自分に向き合い続ける時間になりました。とても得難い体験でした。
さて、勉強会を主催されているお取引先様から『自社商品のPRの場ではなく、あくまで業界の発展のため自分たちが納棺師の方々を支援できることは何か?を真剣に考えた結果、答えの一つがこの勉強会だったんです』ということを教えていただきました。また、参加されている納棺師のお一人からは『このようなつながり・ご縁を作り続けることで変化がおきると信じて、現状と理想のギャップを埋めるために日々前向きに悪戦苦闘している(笑)』と熱い想いを話してくれました。
新たな出会い・新たな学び・新たな気づき。このような貴重な体験をさせてくださった関係者の皆様に、この場をお借りして心から感謝を申し上げます。
最後に、今回の「勉強会&座談会」に参加するためプレゼン資料や展示商品など一生懸命に準備してくれた三和の仲間に、声をかけてくれてありがとう&お疲れさまでした!
前回のブログで「コンサート」のお話をしました。
どんなものかと言いますと、「candlelight(キャンドルライト)」と言いまして、ジャンルは様々(映画音楽・クラッシック・・・)あるのですが、それほど大きくはないホールで開催されます。
楽曲はさることながら、その演出が素晴らしく「行ってみたい・・・」と言う衝動にかられましたので、数年ぶりに音楽会と言うものに足を運びました。
今回聞いたのは「久石譲の名曲集」いわゆる「ジブリ曲」の弦楽四重奏でした。会場全体がキャンドルで装飾され、幻想的かつとても趣のある設えです。ホールだけではなく「能楽堂」のようなところでも行われます。
久しぶりに綺麗な物に触れる時間を作れました。
皆さんも、忙しい中ではありますが、たまには何か非日常の時間を作るのも良いのではないでしょうか。
今回は三和物産の子会社であるリクラについてです。
9月1日よりkimonoyarnのレシピ本作成のクラウドファンディングを行っています。
https://camp-fire.jp/projects/view/693830?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_projects_show
「すてずにすてきにRe;craft」をコンセプトに5年前に創業した株式会社リクラ。
その第一歩として踏み出したのが、廃棄される着物のプロジェクト「kimonoyarn」でした。
多くの方々の協力と数々の試行錯誤を経て、kimonoyarnというアイデアをカタチにすることができました。
この5年間の活動の結晶として、私たちはレシピ本を制作することに決めました。
このレシピ本を通じて、私たちの活動を知らなかった方々とも出会い、kimonoyarnの魅力を感じていただけることを心より願っています。
ぜひ一度クラウドファンディングサイトをご覧いただければ幸いです。
kimonoyarnを初めて知ったという方は下記ご確認お願いします。
「キモノヤーンって何?」(Instagram)
多くの方から反応をいただき、たくさん再生されています。
さらに、10月に新たな発表を予定しています。
今後も子会社リクラをよろしくお願いします。
先日移動中の電車内で杖をついた海外の老夫婦旅行者とすれ違いました。
見たところお二人とも80歳ほどで歩くのも大変そうで、かつ大きなキャリーケースを引きずっていました。
その時に思ったのですが、歩くのも大変な人が飛行機やバス、電車を乗り継いでまで日本に来るのはなぜなんだろうか?
日本が好き、知合いがいるなどさまざまなわけはあるとは思うのですが、、、
そう考える(かなりの飛躍)とそもそも人類はアフリカから寒い北の方へ移動したり、溺れ死ぬかもしれないのに綱で結びつけたイカダで海を渡って遠い大陸を目指したり。
なぜ?
単純に疑問を持ち、何か答えはあるのかと「人類大移動」という本を拾い読みしました。
その本から私がそれなりに読み取った「移動」の理由とは
・気候の変化により、食べ物を求めて北へ向かったり南へ戻ったり、生きるために生息地を変える必要性があったこと。
寒いだけの印象のシベリアなどの島のまわりや海岸には大きな獲物(寒い環境の動物は大きくなる傾向がある)が捕れ、寒いために長期保管ができた。自分たちで作った衣服や竪穴住宅で寒さを凌げればそれほどひどい土地ではない。
シベリアとアラスカは氷期には海面が低下して陸続きだった。
・道具や加熱を発明したことで新しい土地でも植物を採取、人の消化能力に合わせて食べることができるように加工したり、大型動物(改良を繰り返した石器はマンモスすら)も狩ることができた。
・移動は一人では不可能だが集団で共同生活をすることで助け合うことができた。一人では生きていけないことを理解し食べ物を分け合う文化があった。
・新しい土地の最初の移住者は新たなテリトリーを発見した始祖となり、手つかずの資源(土地、食糧)を入手したいという欲望が、移動や移住の重要な要因となった。
(あくまでも私の拾い読みなのでご注意を)
当初の疑問が払拭できたわけではありませんが人類の移動の原点を電車でたまたますれ違った老夫婦のおかげで少し学ぶことができました。
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