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LEADERS BLOG

2021.7.23 / 浜永 良成

テレビで偶然リトさんという方の葉っぱ切り絵に出会いました。

切り絵の繊細な可愛らしさは、やさしいけどどこかさみしさもある。
小さな葉っぱの中に凝縮された世界はとても小さいけど、あたたかな物語性にあふれている。
一つ一つが全部違う葉っぱという素材の選定は、自然だけど新しい発見がある。
簡単には言い切れませんが、その切り絵の魅力の源はこういうことかと思いました。

リトさんのこれまでの悲しみやあたたかな心が詰まっている。
リトさんは発達障害で、仕事はとても丁寧だけど遅いということで怒られてばかりでうまくいかなかったそうです。
ある時に葉っぱの切り絵に出会い、これなら自分にもできるかもしれない…とその世界に没頭していったそうです。

今は
「コンプレックスを全部肯定してもらえる気がする。無理に人の背中を見て走らなくていいんだ」
こう思えるそうです。

自分の人との違いを良さにする。
リトさんの場合は丁寧に根気よく続けられること。
心に人に対する思いやりがあること。

自分の中の人と違うところに気づき、それは多くの人を幸せにすることができる。
こんなに素晴らしいことが世の中にはあるんだなぁと思い知らされました。

他者との違いは、弱みにも生きていくためのものにもなる。

我々も違いを大切にして、良さにして、ほんの少しだけでもいいので人の心に響くような商品を創りたい。

リト@葉っぱ切り絵 @lito_leafart(Instagram)
https://www.instagram.com/lito_leafart/

2021.7.21 / 久保繁

先日、出張帰りに名古屋駅内を歩いていると「先生!久保先生!」と声をかけてくるので、
心の中で「先生じゃないけど」と思いつつ後ろを振り返ると40歳くらいの女性でした。
「私です。お久しぶりです!」
「誰・・・?」と数秒フリーズしました。
顔を見ているとジワジワと思い出して、なんと30年近く前学生時代に水泳を教えていた女の子(当時小学生だったような)でした。
まぁ、それはそれは育ったなと。(淑女に)
子供だった彼女が今は結婚して子供もいて、今こんな仕事していますと、あれこれと数十分くらい立ち話をしました。(ソーシャルディスタンスを保って)
話も尽きず、最後に「よく自分のことわかったね?」と聞いたところ、
笑いながら「後ろ姿、いや後頭部で絶対そうだとわかりました」と。
私は子供たちの間では私のあだ名は「しんちゃん先生」だったそうです。
クレヨンしんちゃんみたいに後ろから見てもほっぺたが見えるからという理由で。
30年後に事実を知ることになりました。
それにしても・・そんなに自分の後頭部は特徴的なのか・・・。
歳をとって体型は変わっても後頭部は変わらないことを彼女は私に教えてくれました。(ありがとう)

それでも自分のことを覚えてくれてくれたことが凄く嬉しかった。
また何よりもこんなコロナ禍の中、元気で生きていてくれているだけでも嬉しかった。
今なかなか人と人が交われない中での「ほっこり」した気分になれた一日でした。

2021.7.9 / 清水吉樹

あん‐ばい【塩梅・按配・案配】
① 塩と梅酢で調味すること。一般に、料理の味加減を調えること。また、その味加減。「―を見る」
② 物事のほどあい。かげん。特に、身体の具合。「いい―に会えた」「―が悪くて寝ている」
③ ほどよく並べたり、ほどよく処理したりすること。「材料をうまく―して話す」「仕事の―を考える」

(以上「広辞苑」抜粋)

いきなり「塩梅(あんばい)」の語彙説明をされても「え??」だと思いますが、今回は「塩梅」をテーマにした内容なので、その前提となる意味をご説明する必要があるなと思いご紹介しました。僕が今回お話をする「塩梅」は上記の「③ほどよくいい感じにする」というニュアンスになります。

さて、僕と仕事をしたり、遊んでくれたことがある人はおわかりかもしれませんが、僕はよく「こんな感じでうまくやっといてよ」とか「ちゃちゃっといい感じでやろう!」と丸投げすることがあります。これは、適当で良い、とか、どうでも良い、という真意ではなく「この人なら細かい指示を伝えるよりザックリ方向性を共有しさえすればよりよい結果になる」という僕なりの考えがあっての発言です。だからもちろん、相手や状況によって「塩梅」はかえます。
例えば、すごくちらかっている部屋があるとして、
❶ある人には『なんか散らかっているからいい感じにしといてよ』。
❷ある人には『なんか散らかっているから整理整頓しておいてよ』。
❸ある人には『これとこれはそこに置いて、床は掃除機をかけて、ついでに「整理整頓!」って張り紙はっておいてよ』。
という感じで。
もちろん❶~❸のどれが良くてどれが望ましい、と良し悪しを言っている訳ではなく、伝える相手との相互理解の度合いや、過去の経験などから「この人にこの案件はこの塩梅で伝えればいいな」と考え発言しています。

って、なんか上から目線で偉そうな感じ・・・。とお思いの貴方・貴女!
違うんです、そうじゃないんです!
僕がここでお伝えしたい趣旨は、
「その時の状況や環境」や「話し手と受け手の関係性」によってニュアンスがかなり違ってくる「塩梅されたコトバ」が、安易にコピーされ再生されることで、仕事の質や遊びの楽しさに悪影響を及ぼすことがあるから注意しないとね!!
ということです。そう注意喚起です。
先ほどの「整理整頓」の例え話でいうと、初対面の人に❶を言っても相手は混乱するし、付き合いが長い人に❸を言ったら「話がくどいな~・・・」となりますよね?
この点を踏まえずに、この「コトバ」だけを第三者や不特定多数の人に「そのまま」伝えるとどうなるか・・・。そう、お察しの通り様々な解釈が発生してかなり困ったことになります。でも、このような事例って、社会や会社や家庭でもけっこう転がってると思うんですよね。みなさんの周りを見回してみてどうですか?
<なんかあの人のハナシって抽象的すぎるんだよね。>
とか
<すげー細かくてめんどくさいんだけど。わかってるし!>
とか
<あれはこういう意味だろう(と思ってやったことが間違っている)。>
など、ありませんか?

コトバが簡単に切り取られ、そして拡散する世の中です。だから、発言する方も受け取る方も、そのコトバや情報は「塩梅」でかなり意味やニュアンスが変わる、ということを意識しつつ、いい感じで暮らしていきましょう。

以上、味音痴な上に話がくどい僕の雑感におつきあいいただき、ありがとうございました。

2021.7.5 / 小平洋一

昔読んだ本の中に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本がありました。
懐かしいと思われる人もいると思いますが、まだ出版当時(昭和55年くらい)生まれていなかった人もいると思いますので少しだけ内容を・・
この本は当時の日本経済を褒めちぎり、日本から何を学ぶべきか・・などがを明瞭に書かれた内容となっています。そして最後には「アメリカへのレッスン」という章までありました。事実、その後日本は空前のバブル景気に入っていくわけです。
しかし今現在、「見習われる」から「見習わなければならない」に変化してきてしまったと思うのです。
コロナ禍からアフターコロナを鑑みると、企業も様々な良いもの(状況)を「見習い」社員に、社会に貢献できる三和にならねばと考える今日この頃です。