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LEADERS BLOG

2025.2.7 / 久保繁

先日ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画「天使にラブソングを」を久しぶりに見ました。
皆さんも一度は見たことがあるのではないでしょうか。
90年代前半くらいの映画で、もう30年以上も前の映画になるのですね。。

さて、この映画ですが、犯罪を見てしまったデロリスを匿うために教会のシスターとして送り込み、その教会のシスター達の下手極まりない聖歌隊に歌の指導をして、最後にはローマ法王が聖歌隊コンサートを見に来るというストーリー。
久しぶりに見るとデロリスのリーダーシップ力が凄い!と私なりに感じて、考察してしまいました。

[デロリスの聖歌隊を指導するアクションとその効果]

・皆の歌声を聞いて、バラバラの配置からアルトやソプラノなど担当エリアを分けて、まず歌わせてみる
 →現状を把握し、体制を整える「現状把握」と「体制整備」

・担当エリアを変えただけで、音を合わせることができるようにはなった。しかし揃ってはいない。
 →まずできたことを褒めて「成功体験」、全体や個々にダメなところも指摘する「チームワークの重要性」「課題解決」

・デロリスの指導で皆がもっとうまく歌えるようになりたいと思い、シスターたちが自主練を始める。
 →スキルアップのための「モチベーションアップ」と「自己学習型」人材への意識変化

・デロリスの指導のもと初の聖歌隊コンサートにて伝統的な歌い方とパフォーマンスなど現代風アレンジの歌い方をお披露目する
 →現状(既存べき論)から問い直し「新しいことへのチャレンジ」、結果として教会に興味を集め「PR効果」により人が集まり、集客力アップ「集客効果」

・聖歌隊が評判となり、教会に人が集まるようになった。メディアにも取り上げられ、チャリティーコンサートで寄付も多く集まって老朽化した建物の修繕も可能になった。
 →「知名度アップ」「収益アップ(経済効果)」

等々、他にもいろいろな名シーンがありますが、
デロリスのリーダーシップ力、コミュニケーション力、そして何といっても「信頼を勝ち取る力(人間力)」が素晴らしいなと。

現実は映画みたいにうまくはいかないのは百も承知ですが、明日も頑張ろうと元気をもらえる良い映画だなとあらためて思いました。

2025.2.5 / 小平洋一

2025年 初のブログです。

年が明け、あっという間に1カ月が過ぎ、2月に入りました。今年も1年が早いのでしょうか・・・
今回は少し硬め?に「本質」という事について私の感じるところをお話しします。

私のよく発する口癖に「そもそもこれは・・・」と言う言葉があります。
自分自身に問い返す意味での「そもそも」なのですが、ある時「これはどうしましょうか」と言う相談を受けました。答え(指示?)を求めたかったのだと思いますが、そこで出るのです・・・

「そもそも、これは検討すべき案件なのですか?」と・・(笑)

大切なのは「問題の根本には何があって、悩み始めたのか」だと思います。表面だけを解決しても、本質に光を当てて考えない限り問題は再発します。
本質を見る事は、時には痛みが伴う事もあるかもしれませんがそれは一時で、本質を触る(改善する)事で必ず良い方向に進みますし、同じ問題の発生を防げます。その積み重ねが「成長」だと思うのです。単純な事ですが、案外難しいのです。

今年は、振り返り・問い直し、そんな積み重ねをする事で「成長」をして行きましょう!!
かくいう私も、まだまだ成長過程だな~ と思う事が山積みです・・(笑)

2025.1.31 / 清水吉樹

最近感じたことなんですが、「認識」ってなんだか難しいな、と。難しいというか「正しく認識することはなかなかできることではない」という方がニュアンスとしてはしっくりくるかもしれません。・・・・。すいません、意味不明ですよね。
状況を説明させてください。
ある時、ある人が「私は〇〇が苦手で、うまく〇〇できる人がうらやましい!」ということを言ったんです。僕はその人の〇〇は下手ではなく、どちらかというと上手だと思っていたのでめちゃくちゃビックリしたんです。で、「いや、どちらかといえば上手なほうだと思いますよ!」と言ったんですが、ご本人的には納得されていない感じで、なんかモヤモヤする、という一幕がありました。で、冒頭の「認識ってむずかしい」につながったという訳です。ある「現実」に対してどのように「認識」するかって人によって様々で、その時の状況によっても変化する不安定で不確実なものなんだと、改めて感じた出来事でした。
まったく話は変わりますが、僕はどちらかといえば「現実を悲観的に認識する」という思考のクセがあります。これは行動力や判断力に悪い影響を与えることが多くなかなか面倒なクセです。わかってはいるのですが「認識」を自覚的にコントロールすることが難しく、この年になっても苦労しています。自分の「自己認識」と第三者の「他者認識」にギャップがあることも意識しつつ、自分を鼓舞し他人に寛容になれる「認識」をもてるよう、日々精進していこうと強く感じる今日この頃であります。
2025年1月もあっというまに終わりましたね!皆さんにとってこの2025年が「挑戦できた!」「最高の年だった!」と認識できる年になるよう、さあ、がんばっていきましょう!

2025.1.20 / 西河誠人

皆さん、自分のくちぐせって意識したことありますか?

気がつくと、何かを見たり聞いたりしたときに「これ、面白い!」とか「うーん、ちょっと面白くないな」と言ってしまう私。便利な言葉ですよね、「面白い」って。だけど、これって実は聞く側には曖昧すぎるかも?とふと思ったんです。

たとえば、仕事で誰かの企画に対して「そのアイデア、面白いね」と言うと、一瞬喜ばれるけど、「どこが?」と内心で思われることもありますよね。具体的にどの部分が面白いのか、どう感じたのかを言葉にしないと伝わらないなぁと気づきました。

逆に、「○○な視点が新鮮で面白い」とか「その発想が他にはないところが面白いね」と伝えると、相手はきっと「あ、そこを見てくれたんだ!」と嬉しく感じるはずです。そして、「どうしてその発想が浮かんだの?」と問いかければ、相手の考えをさらに深掘りできて、会話も広がりますよね。これまで何度も「面白い」で終わらせてしまったのは、もったいなかったなぁと反省しました。

恐らくこれからも「面白い」とつい言ってしまうと思うので、何が面白いのかを意識して、きちんと言語化していきたいと思います!

2025.1.14 / 浜永 良成

昨年、義母が90歳で永眠したのでおめでたい言葉は控えておきます。
みなさん本年もよろしくお願い致します。

そのお葬儀の時の話です。

家内(65歳)がかなりアート感覚の骨壺を選んだんです。
その骨壺は私も仕事柄知ってはいたのですが、今の時代感覚には未だ早いと感じていました。

60歳の妹もとてもきれいでモダンだと気に入っていました。
義母の友人(90歳)も最後の火葬場まで連れ添って頂いたので、その骨壺を目にして「私もこの骨壺に入りたい」と話され、かなり驚きました。

自分も古臭い慣習の商品はどうにかしたいとは日頃から思っていますが、その壁を打破していくことはなかなかたいへんだと感じていたのに高齢の女性がそのような商品に抵抗がないどころか好きだと言う。

自分の思い込みともに、この業界にも新たな別れのかたちの兆しが見え始めていること、さらには求められてさえいることを感じて何か驚きと共に嬉しくなりました。

時代が求めるモノを考えることはその時代の人々とつながることであり、まさに我々のミッションそのものだと感じました。